SOHO社長の体験記

地域デビューのきっかけは「てのひら公園」 




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三鷹のSOHOの発展を、陰に日向に支えていらっしゃいますが、そもそも地域で仕事をされていたのですか?



河瀬
31歳のときに印刷会社を辞めて独立し、印刷ブローカーをしていたんですが、仕事は都心が中心で、地元はあくまで“住むところ”でした。事業が落ち着いて、「他にも何かしてみよう」と思ったのが40歳のとき。市民参加の小さな公園づくりの企画を市報で知り、行ってみたのが全ての発端です。1996年のことでした。

- 公園づくりとSOHO、だいぶ飛躍がありますが?(笑)


河瀬 井の頭5丁目の「てのひら公園」に植えるシンボルツリーや花を決めたり、手入れをしたり。それを市民参加で進めるという試みは、まちづくり公社(現・(株)まちづくり三鷹)の事業だったんです。そして公社の宇山さんが、その年の暮れに「小規模事業者を集めてオフィスを作りたい」と相談にみえたんです。でも僕にはちっともピンとこなくて、丁寧にお話を聞いてお帰りいただいた(笑)。

- なぜ、宇山さんは河瀬さんに相談を?


河瀬 「独立してパソコンを使って何か仕事をしてるらしい」と聞いて目を付けてくれたようです。

- なるほど、河瀬さんご自身がSOHOのはしりだったのですね。


河瀬 僕自身は自分がSOHOをやってるとは全然思っていなかったんだけどね(笑)。

- では宇山さんを追い返しちゃったあと、どうなったんですか?


河瀬 翌年1997年の春、小規模事業者向けのオフィスとして、初年度は家賃ゼロで年々スライド式に高くなっていく傾斜家賃の物件を三井不動産が舞浜に作ったという新聞記事を見つけて、宇山さんにファックスしたんです。「こんなふうに砂糖を道に転がせば、アリが集まるようにSOHOも……」と。

 
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プロフィール

河瀬謙一さん 
[ SOHO CITY みたかフォーラム理事長 ]


印刷会社などの会社員生活を経て1990年に独立。SOHO CITY みたかフォーラム理事長、地域SNSポキネット運営委員会会長、みたか身の丈起業塾副塾長、アナログ・デジタルコンテンツ制作会社(有)ビッツ&カンパニー代表取締役。 1997年から『SOHO CITY みたか構想』に基づいたSOHO集積に関わり、コーディネイター役を続けている。

(取材:安田)