SOHO社長の体験記

SOHO CITYのモデルは、シリコンバレーだった 

産業プラザの地下一階の「精密測定機械室」には、SOHO1社では維持管理しにくい測定器が揃っている。
 

- 「SOHO CITYみたか構想」が生まれた経緯は?


宇山 はじめに触れましたが、1996年に「情報都市づくり」の調査研究がスタートしました。これは三鷹市まちづくり研究所第三分科会での研究で、座長は清原慶子・現市長でした。ちょうどその前の年に武蔵野三鷹ケーブルテレビが当時世界最速の光ファイバーを導入したこともあり、これからの高度情報化社会に向けて三鷹市はどうするのかを考え始めたわけです。


- Windows'95が登場し、インターネットが始まったばかりの頃ですね。


宇山 そうです。しかし研究会に参加していた民間経営者や学識者が注目していたのは、米国のスタンフォード大学でのベンチャー支援でした。日本が半導体業界に躍進した打撃でシリコンバレーが不況となり、その打開策として実施されたベンチャー支援が、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスたちの活躍を生み出したのです。


- なるほど、そのような好事例に学ぼうと考えたわけですね。


宇山 米国の社会現象が10年遅れで日本に起こる傾向があるので、きっと10年後日本も不況になってリストラが進み、起業する人が増えるだろう。そう予測し、SOHOの集積で備えようと考えたのです。





プロフィール

宇山正幸さん 
[ まちづくり三鷹 経営事業部 シニアマネージャー ]

(株)まちづくり三鷹 経営事業部 シニアマネージャー/1979年三鷹市役所に就職。1996年(株)まちづくり三鷹に出向。「SOHO CITYみたか」推進の立役者のひとりとして、現在もSOHO事業支援やコミュニティビジネスの起業支援に携わる。


(取材・文:安田)