SOHO社長の体験記

有志のワーキンググループがSOHO CITYの基盤を作った 

産業プラザ地下一階の「精密測定機械室」にある測定器機は、主に三鷹市内にある企業からの寄付で揃えられた。
 

- シリコンバレーのモデルを念頭に、三鷹ではどんな活動が広がったのですか?


宇山 研究会で外部のさまざまな人たちと話しているうちに、20人ほどのワーキンググループが立ち上がり、実験的に「SOHOパイロットオフィス」を作ろうという話になりました。


- そんな展開の中で、(株)まちづくり三鷹の宇山さんの立場はどんなものだったのですか?


宇山 私は予算確保のために闘っていました。光ファイバーもSOHOも目新しい言葉で、説明するのは困難でした。結局、「5年間で1億円の予算で、上手くいかなかったら止める」という条件でOKが出たのです。バブル崩壊後でどの自治体も予算縮小で新事業は稀でしたから、マスコミにずいぶん取りあげられて注目されました。


- SOHOパイロットオフィスの立ち上げはどんなふうだったのですか?


宇山 自治体側は、まさにノー・アイディアです。ワーキンググループに参加してきたデザイナー、家具メーカー、ディベロッパーなど多様な人たちが、手弁当で設計してくれました。熱い思いを共有する冒険のようでしたね。


- 当初はどんなアウトラインで構想されたのですか?


宇山 行政的な箱物優先の発想だと家賃補助などを考えがちなのですが、実は、何よりも求められているのは、駅から5分圏内、コンビニや郵便局や銀行が近くにあるなどの立地条件です。加えて、営業のつなぎや融資の支援などのヒューマンなサービスも重要です。そうした条件面を整えるようにしました。今もそれは同じです。





プロフィール

宇山正幸さん 
[ まちづくり三鷹 経営事業部 シニアマネージャー ]

(株)まちづくり三鷹 経営事業部 シニアマネージャー/1979年三鷹市役所に就職。1996年(株)まちづくり三鷹に出向。「SOHO CITYみたか」推進の立役者のひとりとして、現在もSOHO事業支援やコミュニティビジネスの起業支援に携わる。


(取材・文:安田)