SOHO社長の体験記

大手企業に就職したのち 身近にあった「さをり織り」に回帰 

さをり織りの創始者、城みさをさんを描いた絵
 

- 「さをり織り」は、城さんのお祖母さまが考案されたのだそうですね。


  祖母の城みさをが「とことん自分の好きなように織りたい」と57歳のときに自宅の庭に織り機をつくって始めました。祖父は織物関係の会社をしていましたので、祖父と父が織り機を改良して今の形になっています。さをり織りは、何を織るのか設計図をつくらず、いっさい計算せずに織って行きます。祖母は人間には知力・体力だけでなく「感力」があると考えていました。感力を使えば自由に表現ができる。さをり織りには、織ることによって自分の感性の使い方がわかってくる面白さがあるのです。ぼくは祖母とよく話をして、その考え方を聞いていたので、大学に入るころには、いつかはさをり織りを自分でもやってみたいと思うようになりました。

- 子どものころから城さんも織っていたのですか。


  いえ、ずっとあとになります。大学を卒業して大手食品会社に入社し、コンビニエンスストア担当の営業になりました。大きな会社ですから、自分のやっている仕事は組織のごく一部にすぎません。自分自身をもっともっと感じたくて、父に頼んで会社の寮に織り機を糸を送ってもらい、織り始めたのです。
  緯(たて)糸作りが素人には難しいので、叔父がやっている代々木にあるさをり織りの教室に習いに行きました。結局、食品会社は3年ほどで辞めて、叔父の教室のスタッフとして働くことにしました。

 
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プロフィール

城達也さん 
[ 手織工房Jota(じょうた)主宰 ]

子どもの頃から、祖母の城みさをさんが始めた「さをり織り」が身近にある生活を送り、「いつかは自分もやってみたい」と考えるように。大学卒業後は大手食品メーカーに入社し、コンビニエンスストア担当の営業職となる。退職し叔父の主宰するさをり織り教室のスタッフとして経験を積んだ後、吉祥寺に「手織工房Jota」を開設。さをり織りの教室と、織りに使う糸や織り機の販売を行う。現在、吉祥寺工房と自由が丘工房の2教室を展開している。

(取材:萩谷)