SOHO社長の体験記

さまざまな職種を経験しながら “人と一緒に仕事をする”形を考えた 

在米中、フロリダのディズニーワールドにて
 

- まず、株式会社ヴィブラント設立に至るまでのお仕事歴をお聞きします。


山田 私はこれまでずっと組織の中で言われたことをやっていたので、特に自分で会社を創ろうと思ったことはありませんでした。
  最初に就職したのが三菱商事で、そこでの5年7カ月で大きな組織での仕事の仕方を身につけました。商社では5、6人のチームを組んで役割分担を決めて働き営業成績を競い、チームリーダーの上にグループリーダーが、その上に部長がいるという指揮系統でした。リーダーになるのは誰からも信頼されている人です。組織の動きには無駄がなく、理にかなっていました。
  渡米して足掛け7年、ニューヨーク州で過ごし、アメリカ社会の自由さと力強さ、その反面厳しい競争を目の当たりにして、カルチャーショックを受けました。
  帰国後は教育社(現 ニュートンプレス)で科学雑誌「ニュートン」の編集補助の仕事に就きました。そこでの仕事のやり方は商社とは全く違い、編集プロダクションやフリーのライター、デザイナー、イラストレーターと、それを束ねる編集者がいて、各分野のプロフェッショナルが責任を持って力を発揮し合って本が出来上がっていくのをみて、自由な大人同士が仕事をしていると感じました。
  その後は、東京工業大学大学院の研究室に務めたり、絵画(トールペイント)教室の講師をしたりしていましたが、実家の両親の近くに住むため、横浜から三鷹に引っ越してきました。そのご縁で、株式会社まちづくり三鷹でお世話になることになったのです。

 
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プロフィール

山田律子さん 
[ 株式会社ヴィブラント 代表取締役 ]

商社に5年7カ月間勤務した後に渡米、帰国後は科学雑誌の編集室のほか、大学の研究室の秘書、絵画教室の講師を経て、2005年から株式会社まちづくり三鷹に勤務。そこで、子育て関連のガイドブック制作に携わったのを機に、子育て関連のWebサイトの制作、ワークショップ等を担当、Web関連の事業が関連IT企業に移ったため同時に転職となる。2013年9月に退職、11月の「みたかビジネスプランコンテスト2013」で最優秀賞を受賞し、翌月に株式会社ヴィブラントを設立し、現在に至る。

(取材:萩谷)