SOHO社長の体験記

パブリックなお茶の文化に惹かれ 大学では“カフェの研究”を卒論に 

店内にもたくさんのグリーンがあしらわれており、居心地がよい。
 

- 昼も夜も学校でたいへんではありませんでしたか。


鈴木   いえ、語学コースは週3日だけだったので、空いた時間にいろいろなところを見て歩きました。東京の地図にダーツを投げて、刺さったところへ自転車で行ったりもしましたね。
  ぼくはフランスやイタリアのカフェの、通りを向いたオープンエアのテーブルがあって、お客さんが行き交う人びとを眺めているパブリックな雰囲気が好きです。東京からふるさとを見て「盛岡っていいな。盛岡のよさを守るために、自分はなにができるだろう。政治家になるのがいいかな」等々考えた時、「そうだ、盛岡にも西欧のパブリックなカフェの文化が根付いたら、きっといい街になっていくんじゃないかな?」と気がついたのです。そこで大学3年からはカフェの研究をし、卒論もカフェで書きました。

- 卒業後はどうされたのですか?


鈴木 「自分が盛岡でカフェをやるのは、40歳くらいになって故郷に帰った時」と思っていたのですが、就職活動にも、会社に就職することにも違和感がありました。東京にはいいお店がたくさんあるからとにかく勉強しようと思っていたら、三鷹に家具屋なのにカフェもやっているデイリーズという面白いお店があった。住環境にも興味があったし、履歴書を持って「働きたいんですが」と訪ねていったら、社長が話を聞いてくれて、「12月に一人辞めるから」というのです。その間は叔父の測量事務所で働かせてもらい、12月に採用されました。





プロフィール

鈴木佳範さん 
[ カフェ ハイファミリア / パブリック・スペース株式会社代表取締役 ]

盛岡市出身。小中学校と生徒会長をつとめ、将来の夢は弁護士だったが、高校の友人たちの影響で伊仏文化に関心を持つ。伊・ペルージャ大学に進学を志すが、高校の先生や家族の強い反対にあい、上京してイタリア文化会館で学びながら、明治大学商学部の夜間に通う。カフェの研究で卒論を書き、大学卒業後は三鷹の「デイリーズ」に押し掛け就職。28歳で独立し、会社を設立して現在に至る。

(取材:萩谷)