SOHO社長の体験記

対照的な日本企業2社に勤めた後 家のローンを抱えての独立を果たす 

三鷹に土地を買って自宅を建てた経緯をまとめたイラストエッセイ本。このころは住宅ライターを名乗っていた。

- それでどうされたのですか?


たかぎ   中国工場への移籍を打診されましたが、日本で仕事を探すことにしました。夫婦で同じところで働くリスクが身に沁みたので、別々に勤めようと考えたのです。私は中国に初めて支店を設けるという日本の老舗大手企業に、大連支店立ち上げ担当として就職しました。現地の人とは仕事がやりやすかったけれど、日本の大手企業の老舗独特の役割が細分化されたカルチャーに馴染むことができませんでした。臨機応変に結果を出すことが台湾企業では求められていましたので、「これは自分に合わないな」と考えて、中国と合弁会社を作るという日本のITベンチャーに転職。合弁会社を作ったところで社内の派閥抗争が激しくなり、ストレスで円形脱毛症になりました。フリーランスになろうと考えたのはその頃です。
  勤めているうちにローンを組んで家を建ててしまおうと土地を探しました。当時は小平に住んでいたのですが、独立を前提に近隣自治体のサービスを調べたところ、三鷹はSOHOを支援しているし、インターネットで図書館の本を予約し希望する館に取り寄せできるシステムがあることがわかりました。書きものの仕事をしていくには必須ですが、10年以上前には少なかったのです。

- なるほど。だから三鷹にご自宅を。


たかぎ   ローンの申請が通ったのを機に独立し、起業と三鷹への引っ越しがほぼ同時でしたね。ですが、夫からは「独立した最初の月から、それまでの給料と同じ以上の額を稼いでね」とハッパをかけられ、「もうやるしかない」という状況でした。これ、けっこうなプレッシャーですよね(笑)。でも結果として、あなたの給料分仕事を私が発注してもいいから、独立しなさい。と、当時お世話になっていたトルコ人コーチに背中を後押しされ、踏み出しました。結果的にお世話にならずに、奇跡的に初年度からサラリーマン時代の年収を超えることができましたが、あのときの後押しがなければ、今の私はなかったか、もう少し後になっていたかもしれません。





プロフィール

たかぎりょうこさん 
[ 東京高木良子事務所代表、(社)日本トータルビジュアルブランディング協会 理事長 コミックエッセイ作家 中国語通翻訳者 ]

大学で中国語を学び、北京に留学。大学院在学中に台湾系スピーカーメーカーに入社し、東京事務所を一人で立ち上げる。同社が撤退したのちは日本企業の中国部門、IT系ベンチャー企業などで働く。2005年に家を建てると同時に独立。中国語の通訳・翻訳者として活動しつつ文筆業・イラストなどの仕事を始め、興味の赴くままに活動領域を広げている。現在は、執筆と講演活動が中心。パーソナルブランディングや就活アドバイザーも行っている。
 http://www.takagiryoko.com/

(取材:萩谷)