- これまで事業を進める上で、困難に直面したり壁に突き当たってしまったことなどはありましたか? またそれをどのように乗り越えられたのでしょうか。
永井 希望退職して起業した最初の年は売り込みに不安がありました。一から自分でやるのはたいへんだから、どこかの暖簾を借りてやろうと考えたのです。そこで最初に映像系が得意なM社と顧問契約を結びました。その会社の役員の息子さんが、大学病院の放射線科の有名なドクターだったご縁です。最初は儲かるかどうかわからないので、売り上げの何%かを顧問料として受け取る、その売り上げからは自分の使った経費を引くという契約を結びました。出かけていっても売り上げが立たない時もありますから。
- 明朗会計ですね。
永井 だからお互い安心して仕事ができたわけです。私の下に何人か社員をつけてもらって育てながら、その給料分くらいの利益は十分上げることができました。
そのあと、以前に受けた取材でもお話ししたように*3 M社のメディカル事業部廃止ということになり、医療画像のソフトを作っていたスリーゼットという会社の顧問になりました。
- その時に永井さんが「医療画像をやっていれば絶対食べていける」とおっしゃって、永井さんの部下全員が会社を辞めてこの業界に留まったというお話でした。
永井 当時のM社としては優秀な社員を他の部署に回すつもりだったでしょうから、当てが外れたことになりますね。